Machupicchu y Quechua

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  マチュピチュを見たいと思った。そして、訪問の計画を立てようとした。でも、その時、何故、どうして、マチュピチュができたのか、そしてどんなところなのか、 知りたかった。そして、最寄りの、市民として誇りに思っている図書館に出かけて、本を漁った。


最初に見つけた図書

 図書館で見つけた、次の2冊に惹かれた。
 ① インカの末裔たち       山本紀夫                                                                                              Oct20,1992
 ② ICA 模様石に秘められた謎       コルネリア・ペトラトゥ/ベルナルト・ロイディンガー    赤根洋子訳

 前者は、じゃがいもから始まって、アンデスの山中で高度差を活かした農牧畜業をアイユで営むケチュアの人々、そして、インカの征服・スペイン人の侵入による変貌、

 後者は、イカ付近の砂漠地帯に、考古学を根本から覆す、古くて、すばらしい文化があったことを示唆する本である。


  
       
中央アンデス農耕文化論 ーとくに高地部を中心としてー 山本紀夫著   
        

 帰国後、インターネットでこのpdfファイルを見つけた。

ジャガイモ文化

 “根菜農耕文化”と呼んでいるが、アンデスの高地、東斜面で、じゃがいもを主食とする高度差を利用した農牧畜業が、アイユという協同体で育まれた。

 ・高度、日照方向等、生育環境の異なる複数の耕地で、休耕を含
      む輪作で、複数の作物を、育てる。
     特に、主食のジャガイモは、100種もの品種を育てる。
 ・ジャガイモの加工技術:保存、毒抜き
 ・リャマ、アルパカの高地牧畜:糞(燃料、肥料)

チューニョ(じゃがいもの加工)

 ジャガイモの代表的加工方法。夜間の寒気で水分を分離、凍結させ、日射でその氷を溶かす。ラクチで見せたように、それを押すと水が飛び出す。タンパク質は、トウモロコシと同じ8wt%になると言う。

飢える者がいなかったインカ帝国

 この本では、文字のないペルーの歴史を調べるのに、コンキスタドールが残したクロニカを参照している。インカ・ガルシラーソは、一般庶民は自給自足で、物乞いも飢える者もいなかったことに驚いている。
 なぜか?

トウモロコシと段々畑

 ジャガイモ文化を研究するうちに山本紀夫は、2種類の段々畑に気がついた? すなわち、灌漑の有無
 そして、巨大なインカ帝国の統治方法?

 インカは、神と王のための灌漑を備えた段々畑を作らせ、そこでトウモロコシを生産させ、褒美にトウモロコシを発酵させて美女たちに作らせたチチャを振る舞った。
 庶民への税はなく?、これらの使役だけで、統治した?

垂直統合

 4,000mの高平原が広がるティティカカ湖西岸のルパカ王国は、遠隔地に住民を送りこみ、西の海岸地帯からトウモロコシ、綿そしてグアノ(パジェスタ島?)、
 東のアマゾンからは、材木、コカなど、高地では生産できないものをゲットしたという。

 ティティカカ湖から北上して高原が狭くなるペルー中央高地で、チュバイチュ族は、3,000~3,200mを中核として、高地から家畜、塩を、低地森林帯からコカ、材木、綿、トウガラシを得ている。

強制移住 ミティマエス

 インカの統治政策の一環として、ミティマエスという集団、組織?を、新しい土地に送り、農畜業を起こさせた。
 ミティマエスには、新たに征服した住民を監視する集団、アンデス東斜面低地の好戦的な民族等から住民を守る兵力集団もあったという。

Conquistadores

 飢える者がいなかったインカ帝国に、植民地主義台頭後、メキシコ、ぺルーを征服したスペイン人たち(コンキスタドール)がやってきた。
 1532年、アタワルパ(13代インカ王)はフランシスコ・ピサロに捕らえられ、スペイン人の侵入、支配が始まる。

 著者が、じゃがいも文化研究のためマルカパタに住むのは、1978年のことであるが、インカ帝国滅亡後のペルーの歴史については、記載されていない。

マルカパタ
   
 クスコの東、アンデスの東側斜面にあるマルカパタで、著者はアイユの1家族と寝食を共にする。
   
 果して、マルカパタの4つのアイユでは、アンデス根菜農耕文化が引き継がれており、右図に示すような研究報告が可能であった。

 この素晴らしい文化は、アイユは、いずれ潰れていくのであろうか?   

高度差利用(マルカパタ・コヤナ共同体)
4グループのジャガイモを
高度の異なる場所(↑)で、時期(↓)をずらせて

                     
1年の動き(マルカパタ・コヤナ共同体)
          
ジャガイモの種類(マルカパタ・コヤナ共同体)
すべてではない!! マルカパタ全体では、100種類育てた。

     
               

ICA 模様石に秘められた謎  コルネリア・ペトラトゥ/ベルナルト・ロイディンガー著 赤根洋子訳
  

パラカスの謎

 パラカス文化(BC1,600~BC300)について、次のような記載がある。

 ガンデラブラは砂丘上の絵で、かって強風や車の轍で一部乱されることはあるが、必ず復帰するという。
 著者も近づいて調査をしたが、何も発見できなかったという。
 “燭台の枝はナスカとオクカヘの方角を示している”と書かれているが、航空写真ではほぼ南を指している。

 地上絵とともに、ネクロポリス(古代都市の共同墓地)で発見されたミイラに関する謎が書かれている。

 ・ミイラにかけられていたマントの図柄: ガブレラ博士は“合指症の遺伝の仕組み”と説明した。
   ペルー観光省のポスターに使用されたと記載しているが、インターネットでは見つけることができなかった
 ・変形頭蓋と頭蓋の穴(脳腫瘍治療跡?)
 ・長い髭の異民族が1体あった。・・この国では、異民像の大男が出現する伝説が多い。


イカの石
      
 文献②のタイトルは、ガブレラ博士のイカの石を指しているが、今回の旅行では、何も情報が得られなかったが、石に刻まれたモチーフには以下(ICA)のものが含まれている。           
 ・未知の地域の地図(数百万年前の世界地図?)           
 ・先史時代に絶滅した動物、それらの成長の様子を示した図           
 ・高度な外科手術を表した図
       
マルカシワ
          
 マチュピチュについての記載もあるが、マルカシワの彫像、地下通路も紹介されている。   









                    

岩、石
  
   

穴太積み Anoudumi 穴太衆が築いた城の石垣 金沢城、安土城、彦根城、竹田城、篠山城、角牟礼城




よみがえれ熊本城 Anoudumi 朝日新聞Dec11'16

 
穴太衆 Anousyu







  
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