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帰国後、インターネットでこのpdfファイルを見つけた。
ジャガイモ文化
“根菜農耕文化”と呼んでいるが、アンデスの高地、東斜面で、じゃがいもを主食とする高度差を利用した農牧畜業が、アイユという協同体で育まれた。
・高度、日照方向等、生育環境の異なる複数の耕地で、休耕を含
む輪作で、複数の作物を、育てる。
特に、主食のジャガイモは、100種もの品種を育てる。 ・ジャガイモの加工技術:保存、毒抜き
・リャマ、アルパカの高地牧畜:糞(燃料、肥料)
チューニョ(じゃがいもの加工)
ジャガイモの代表的加工方法。夜間の寒気で水分を分離、凍結させ、日射でその氷を溶かす。ラクチで見せたように、それを押すと水が飛び出す。タンパク質は、トウモロコシと同じ8wt%になると言う。
飢える者がいなかったインカ帝国
この本では、文字のないペルーの歴史を調べるのに、コンキスタドールが残したクロニカを参照している。インカ・ガルシラーソは、一般庶民は自給自足で、物乞いも飢える者もいなかったことに驚いている。
なぜか?
トウモロコシと段々畑
ジャガイモ文化を研究するうちに山本紀夫は、2種類の段々畑に気がついた? すなわち、灌漑の有無
そして、巨大なインカ帝国の統治方法?
インカは、神と王のための灌漑を備えた段々畑を作らせ、そこでトウモロコシを生産させ、褒美にトウモロコシを発酵させて美女たちに作らせたチチャを振る舞った。
庶民への税はなく?、これらの使役だけで、統治した?
垂直統合
4,000mの高平原が広がるティティカカ湖西岸のルパカ王国は、遠隔地に住民を送りこみ、西の海岸地帯からトウモロコシ、綿そしてグアノ(パジェスタ島?)、
東のアマゾンからは、材木、コカなど、高地では生産できないものをゲットしたという。
ティティカカ湖から北上して高原が狭くなるペルー中央高地で、チュバイチュ族は、3,000~3,200mを中核として、高地から家畜、塩を、低地森林帯からコカ、材木、綿、トウガラシを得ている。
強制移住 ミティマエス
インカの統治政策の一環として、ミティマエスという集団、組織?を、新しい土地に送り、農畜業を起こさせた。
ミティマエスには、新たに征服した住民を監視する集団、アンデス東斜面低地の好戦的な民族等から住民を守る兵力集団もあったという。
Conquistadores
飢える者がいなかったインカ帝国に、植民地主義台頭後、メキシコ、ぺルーを征服したスペイン人たち(コンキスタドール)がやってきた。
1532年、アタワルパ(13代インカ王)はフランシスコ・ピサロに捕らえられ、スペイン人の侵入、支配が始まる。
著者が、じゃがいも文化研究のためマルカパタに住むのは、1978年のことであるが、インカ帝国滅亡後のペルーの歴史については、記載されていない。
マルカパタ
クスコの東、アンデスの東側斜面にあるマルカパタで、著者はアイユの1家族と寝食を共にする。
果して、マルカパタの4つのアイユでは、アンデス根菜農耕文化が引き継がれており、右図に示すような研究報告が可能であった。
この素晴らしい文化は、アイユは、いずれ潰れていくのであろうか?
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高度差利用(マルカパタ・コヤナ共同体) 4グループのジャガイモを 高度の異なる場所(↑)で、時期(↓)をずらせて
1年の動き(マルカパタ・コヤナ共同体)
ジャガイモの種類(マルカパタ・コヤナ共同体) すべてではない!! マルカパタ全体では、100種類育てた。
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